伊吹有喜 TOPIX

2017年11月17日金曜日

NEW!! 「彼方の友へ」を上梓しました!

2017年1月1日日曜日

新年のごあいさつ

2015年12月31日木曜日

年末と年始のご挨拶

2015年7月13日月曜日

BAR追分が発売されます

2015年3月19日木曜日

公式サイトリニューアル

2015年3月19日木曜日

NEW!! 現在連載中

なでし子物語 天の花 地の星

画・菅野裕美/「asta*」ポプラ社(2013年7月より月刊掲載)

彼方の友へ

画・小春あや/「J-novel」実業之日本社(「紡」2013年春号より三ヶ月ごとに掲載)

NEW!! 不定期で掲載

BAR追分(バールおいわけ)

画・満岡玲子/「ランティエ」角川春樹事務所

連載終了しました。年内に刊行予定です。

今はちょっと、ついてないだけ

画・宮坂猛/「小説宝石」光文社(2014年1月号より隔月掲載)

2012年12月1日土曜日

柿の木と12月のごあいさつ

2012年11月1日木曜日

秋深し、イヌニガテの謎

2012年10月1日月曜日

夏の終わりと秋の始まり

2012年4月2日月曜日

4月のごあいさつ

2012年2月8日水曜日

二月のご挨拶

2011年11月5日土曜日

11月のごあいさつ

2011年10月6日木曜日

10月のごあいさつ

2011年9月19日月曜日

ESSAY:日本の大人

2011年7月19日火曜日

夏が来ましたね!

2011年7月1日金曜日

ESSAY:コウジに夢中

2011年6月29日水曜日

本当に蒸しますね……。

2011年6月11日土曜日

ESSAY:男の背中とオムライス

2011年4月6日水曜日

ごあいさつ

2011年1月12日水曜日

年明けのごあいさつ

2010年11月28日日曜日

ESSAY:マルタイに関する考察

2010年11月1日月曜日

ESSAY:短髪包囲網

2010年11月1日月曜日

「小説宝石」12月号(光文社発行)に短編が掲載されました。タイトルは「煙が目にしみる」です。

checkmark小説宝石(光文社)

2010年11月1日月曜日

ごあいさつ

2010年10月16日土曜日

ESSAY:蝉の夏

2010年9月21日火曜日

ESSAY:女の述懐

2010年8月

「小説現代」9月号(講談社発行)にエッセイが掲載されました。タイトルは「この夏の喜び」です。

checkmark小説現代(講談社)

2010年6月

「別冊文藝春秋」7月号(文藝春秋発行)にエッセイが掲載されました。タイトルは「折々の音色」です。

checkmark別冊文藝春秋(文藝春秋)

2010年5月22日土曜日

「月刊 ジェイ・ノベル」6月号(実業之日本社発行)にエッセイが掲載されました。タイトルは「ウマい鹿」です。

checkmarkジェイ・ノベル(実業之日本社)

2010年4月17日土曜日

ESSAY:お寒い対決

2010年3月30日火曜日

ESSAY:書店さんにて初サイン

2010年1月5日火曜日

ESSAY:2010年のごあいさつ

2009年12月25日金曜日

ESSAY:江戸の紫

エッセイ掲載

「野生時代」12月号(角川書店発行)にエッセイが掲載されました。タイトルは「おへその佃煮」です。

checkmark野生時代(角川書店)

2009年11月10日火曜日

ESSAY:失敗の定番

2009年10月5日月曜日

ESSAY:空の庭園

2009年9月15日火曜日

ESSAY:秋の夜長にこの一枚

2009年9月7日月曜日

ESSAY:イルカの裏表

著者インタビュー掲載

ポプラ社のPR誌、asta*(アスタ)9月号に著者インタビューが掲載されました。配布先などの詳細はこちらをどうぞ。

checkmarkアスタについて

checkmarkアスタが置いてあるお店

2009年8月19日水曜日

ESSAY:女の絶望

2009年8月10日月曜日

ESSAY:地獄の珈琲

2009年8月3日月曜日

ESSAY:すごいよ、ルーシー

2009年7月28日火曜日

ESSAY:涙のラーメン

2009年6月27日土曜日

ESSAY:ごあいさつ

伊吹有喜 BOOKLIST

伊吹有喜『彼方の友へ』

初版:2017年11月17日
ISBN:978-4-408-53716-0
出版:実業之日本社
価格:本体1,700円+税



平成の老人施設でひとりまどろむ佐倉波津子に、赤いリボンで結ばれた小さな箱が手渡された。「乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作」。そう印刷された可憐な箱は、70余年の歳月をかけて届けられたものだった──戦前、戦中、戦後という激動の時代に、情熱を胸に生きる波津子とそのまわりの人々を、あたたかく、生き生きとした筆致で描く、著者の圧倒的飛躍作。
(文章は実業之日本社の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『地の星』

初版:2017年09月21日
ISBN:978-4-591-15605-6
出版:ポプラ社
価格:本体1,600円+税



今のわたしは、あの頃なりたいと望んだ自分になれているのだろうか。遠州峰生の名家・遠藤家の邸宅として親しまれた常夏荘。幼少期にこの屋敷に引き取られた耀子は、寂しい境遇にあっても、屋敷の大人たちや、自分を導いてくれる言葉、小さな友情に支えられて子ども時代を生き抜いてきた。時が経ち、時代の流れの中で凋落した遠藤家。常夏荘はもはや見る影もなくなってしまったが、耀子はそのさびれた常夏荘の女主人となり─。ベストセラー『なでし子物語』待望の続編。
(文章はポプラ社の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『カンパニー』

初版:2017年05月22日
ISBN:978-4-10-350971-4
出版:新潮社
価格:本体1,700円+税



妻子に逃げられた47歳総務課長。選手に電撃引退された女性トレーナー。製薬会社のリストラ候補二人に課された使命は、世界的プリンシパルの高野が踊る冠公演「白鳥の湖」を成功させること。しかし、高野の故障、配役変更、チケットの売れ行き不振と続々問題が。本当に幕は開くのか!? 仕事と人生に情熱を取り戻す傑作長編。
(文章は 新潮社の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『情熱のナポリタン』

初版:2017年02月14日
ISBN:978-4-75844065-3
出版:角川春樹事務所
価格:本体520円+税



かつて新宿追分と呼ばれた街の、〈ねこみち横丁〉という路地の奥に「BAR追分」はある。<ねこみち横丁>振興会の管理人をしながら脚本家を目指す宇藤輝良は、コンクールに応募するためのシナリオを書き上げたものの、悩んでいることがあって……。両親の離婚で離れて暮らす兄弟、一人息子を育てるシングルマザー、劇団仲間に才能の差を感じ始めた男──人生の分岐点に立った人々が集う「BAR追分」。客たちの心も胃袋もぐっと掴んで離さない癒しの酒場に、あなたも立ち寄ってみませんか? 大人気シリーズ第三弾。
(文章は 角川春樹事務所の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『ミッドナイト・バス』(文庫版)

初版:2016年08月04日
ISBN:978-4-16-790671-9
出版:文藝春秋
価格:本体880円+税



壊れた「家族」という時計は再び動き出すのか。故郷に戻り、深夜バスの運転手として二人の子供を育ててきた利一。ある夜、乗客に別れた妻の姿が──。家族の再出発を描く感動長篇。
(文章は文藝春秋BOOKSの紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『今はちょっと、ついてないだけ』

初版:2016年03月16日
ISBN:978-4-334-91083-9
出版:光文社
価格:本体1,500円+税



かつて、世界の秘境を旅するテレビ番組で一躍脚光を浴びた、「ネイチャリング・フォトグラファー」の立花浩樹。バブル崩壊で全てを失ってから15年、事務所の社長に負わされた借金を返すためだけに生きてきた。必死に完済し、気付けば四十代。夢も恋人もなく、母親の家からパチンコに通う日々。ある日、母親の友人・静枝に写真を撮ってほしいと頼まれた立花は、ずっと忘れていたカメラを構える喜びを思い出す。もう一度やり直そうと上京して住み始めたシェアハウスには、同じように人生に敗れた者たちが集まり……。
(文章は光文社の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『オムライス日和 BAR追分』

初版:2016年2月12日
ISBN:978-4758439732
出版:角川春樹事務所
価格:本体520円+税



有名電機メーカーに勤める菊池沙里は、大学時代にゼミで同期だった宇藤輝良と再会する。卒業して五年、宇藤は「ねこみち横丁振興会」の管理人をしながら、脚本家になる夢を追い続けているという。数日後、友人の結婚式の二次会後に、宇藤がよくいるというねこみち横丁のBAR追分に顔を出した沙里だったが……(「オムライス日和」より)。昼はバールで夜はバー──二つの顔を持つBAR追分で繰り広げられる人間ドラマが温かく胸に沁みる人気シリーズ、書き下ろしで贈る待望の第二弾。
(文章は角川春樹事務所の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『BAR追分』

初版:2015年7月15
ISBN:978-4758439176
出版:角川春樹事務所
価格:本体520円+税



新宿三丁目の交差点近く──かつて新宿追分と呼ばれた街の「ねこみち横丁」の奥に、その店はある。そこは、道が左右に分かれる、まさに追分だ。BAR追分。昼は「バール追分」でコーヒーやカレーなどの定食を、夜は「バー追分」で本格的なカクテル、ハンバーグサンドなど魅力的なおつまみを供する。人生の分岐点で、人々が立ち止まる場所。昼は笑顔がかわいらしい女店主が、夜は白髪のバーテンダーがもてなす新店、二つの名前と顔でいよいよオープン!
(文章は角川春樹事務所の紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『なでし子物語』(文庫版)

初版:2014年12月05日
ISBN:978-4-591-14246-2
出版:ポプラ社
価格:本体720円+税



いじめに遭っている少女・耀子、居所のない思いを抱え過去の思い出の中にだけ生きている未亡人・照子、生い立ちゆえの重圧やいじめに苦しむ少年・立海。三人の出会いが、それぞれの人生を少しずつ動かし始める。言葉にならない祈りを掬い取る、温かく、強く、やさしい物語。

伊吹有喜『ミッドナイト・バス』

初版:2014年1月
ISBN:978-4163900063
出版:文藝春秋
価格:1,890円



東京での過酷な仕事を辞め、故郷の新潟で深夜バスの運転手をしている利一。ある夜、彼が運転するバスに乗ってきたのは、十六年前に別れた妻だった──。
父親と同じく、東京での仕事を辞めて実家に戻ってきた長男の怜司。実現しそうな夢と、結婚の間で揺れる長女の彩菜。そして、再婚した夫の浮気と身体の不調に悩む元妻、美雪。
突然の離婚で一度ばらばらになった家族は、今、それぞれが問題を抱えて故郷に集まってくる。全員がもう一度前に進むために、利一はどうすればいいのか。
家族の再生と再出発をおだやかな筆致で描く、伊吹有喜の新たな代表作!
(文章は文藝春秋BOOKSの紹介ページから流用させていただいています)

伊吹有喜『なでし子物語』

初版:2012年11月
ISBN:978-4-591-13142-8
出版:ポプラ社
価格:1,680円(本体:1,600円)



ずっと、透明になってしまいたかった。でも本当は、「ここにいるよ」って言いたかったんだ──

いじめに遭っている少女・耀子、居所がなく過去の思い出の中にだけ生きている未亡人・照子、生い立ちゆえの重圧やいじめに苦しむ少年、立海。三人の出会いが、それぞれの人生を少しずつ動かし始める。言葉にならない祈りを掬い取る、温かく、強く、やさしい物語。

伊吹有喜『四十九日のレシピ』(文庫)

初版:2011年10月
ISBN:978-4-591-12665-3
出版:ポプラ社
価格:630円(本体:600円)



母の優しい「レシピ」が起こした奇跡に、あたたかい涙があふれる感動の物語。

妻の乙美を亡くし気力を失ってしまった良平のもとへ、娘の百合子もまた傷心を抱え出戻ってきた。そこにやってきたのは、真っ黒に日焼けした金髪の女の子・井本。乙美の教え子だったという彼女は、乙美が作っていた、ある「レシピ」の存在を伝えにきたのだった。

伊吹有喜『風待ちのひと』(文庫)

初版:2011年4月
ISBN:978-4-591-12418-5
出版:ポプラ社
価格:672円(本体:640円)



伊吹有喜デビュー作、文庫版

“心の風邪”で休職中の男と家族を失った傷を抱える女。海辺の町でふたりは出会った──。人生の休息の季節を鮮やかに描き出す、デビュー作。

伊吹有喜『四十九日のレシピ』

初版:2010年2月
ISBN:978-4-591-11535-0
出版: ポプラ社
価格:1,470円(本体:1,400円)



2011年早春 NHKドラマ化決定!!

わたしがいなくなっても、あなたが明日を生きていけるように。大切な人を亡くしたひとつの家族が、再生に向かうまでの四十九日間。家族を包むあたたかな奇跡に、涙があふれる感動の物語。

伊吹有喜『風待ちのひと』

初版:2009年6月
ISBN:978-4-591-11021-8
出版:ポプラ社
価格:1,470円(本体:1,400円)



伊吹有喜デビュー作

第三回ポプラ社小説大賞特別賞受賞作!! 二十代の恋とは違う。でも、今だから気がつくことがある。39歳の男と女、愛と再生の物語。


 90年代の初め、大学を出て入った出版社は当時、新橋にあった。

 発行している雑誌はファッション誌、それも高級ブランドの商品を扱う雑誌が多く、エレベータに乗っていると、撮影用のゴージャスな服がラックにかけられ、地下のスタジオに運ばれていくさまをよく見かけた。

 編集者は華やかなファッションに身を包んだ人が多く、控えめな装いをしている場合はほとんどが茶道、華道、料理、伝統芸能、染織などの専門分野に精通した人たちだった。

 新人の私はどちらでもなく、編集者でもなかった。

 編集採用で入社はしたが、私ともう一人の同期は関連部署で勤務の後、編集部に異動とのことだった。

 その配属先は雑誌と連動して、読者招待のイベントなどを行う部署だった。間近に迫っていたのは男性ファッション誌のイベントで、開催まで3ヶ月を切っていた。

 忙しかったし、人手の少ない部署だったので、事情がよくわからないまま、編集部への協力を依頼しに一人で行くことが多々あった。新人にまかせるぐらいだから小さな依頼だが、そうした細かいことが頼まれるほうにとっては実にうっとうしくて面倒なものらしい。

 相手はきまって嫌な顔をする。無理もない。普段の仕事で忙しいところに、イベントの業務が重なってとても苛ついている。そこへ野暮ったい新人がやってきて、あれこれ言うわけだから、つい言葉も荒くなる。

 相手に嫌な顔をされるたび、人見知りの傾向がある私は心が縮み上がった。しかし何もできないから、せめて笑顔で、相手に不快感を与えないように話すことを心がけた。

 しかしそうした態度は相手の虫の居所が悪い時には、かなりカンにさわるらしい。

 ある日、編集部で話をしていたら、突然、相手の男性編集者が「何でそんな薄ら笑いをしてるんだよ」と言った。

 腕にはブレスレット。肩の線が柔らかなジャケットにあわせたカットソーは見るからに高価そう。ほかにも聞けばこだわりや来歴がずらずらと語られそうなものを身につけていた。

 あわてて、すみません、と笑顔を引き込める。

「悪いと思ってもないくせに簡単にあやまるな」と彼が足を組んだ。素足にグッチのビットモカシンを履いている。

 うろたえたあまり、また微笑んでしまった。その人が机を蹴った。

「お前、頭、ついてるのかよ。今、俺の言ったこと、ちゃんと聞いてる? ね、聞いてますか? お前さあ、学校で何を勉強してきたヒト? なんでここにいるの?」

 途端に泣きたくなる。

 法曹の資格取得の勉強をしていたが、続けていく自信がなかった。逃げるような思いで、本や雑誌が好きという理由で出版社を受けたら、ここに採用が決まった。内定してから服飾のことを勉強してみたが、そうしたセンスはすぐに身につかない。

 何を勉強してきた、と言われたら、中途半端で、としか言いようがない。

 うしろから男性の明るい声がした。

「まあまあ、こいつに言ってもしょうがないよ」

 なあ、とその人が言った。

「この子、ただのお使いだし」

 その通りだ。泣きたくなる。こらえるには笑ってみせるしかなかった。

 そうしたことが何度か続き、そのうちあの編集部に行くと思っただけで、背中にじっとりと汗をかくようになった。その階に上がると、顔を上げるのが怖くなる。

 これぐらいで臆していては社会人をやっていけない。そのたびにそう思った。でも身体の反応は止まらない。そうした自分の弱さが情けなくて仕方がない。やがて自分の表情が他人に不快感を与えている気がして、人と顔を合わせるのが怖くなった。

 昼食はなるべく一人で行くようになり、社内の人と顔を合わせないですむカウンターの店を選ぶ。そうなると自然に蕎麦やうどん、回転の速い定食屋で食べることになる。たいてい後ろで待っている人がいるので、あわただしい。そしてあっという間に食事が終わる。

 食べ終わるとすぐに会社に帰りたくなくて、喫茶店に行ってみる。しかしどこに行っても新橋はスーツ姿の男性ばかりで、若い女が一人では入りにくい。

 そんなある日、蕎麦を食べたあとで路地にまぎれこんだら、道に喫茶店の小さな看板が出ていた。

 のぞいてみるとどうやら地下にあるらしく、暗い階段を降りた先にガラス戸がある。

 とても暑い日だった。ほの暗い地下が涼しそうで、階段を降り、引き戸を開けてみる。

 中は意外なほどに明るく、床も壁も白くて広々としていた。

 四人掛けのテーブルが並んでいて、各席に一人ずつ座っている。

 席はあいていたが、その様子を見ると会員制のような気がした。入るのをためらっていると、小柄な老婆が近づいてきて、空いている席を指さした。

 指示されるまま、そこに座る。机の上の端にはきらきら光るガラスの灰皿。その灰皿の横には小さなメニューが置いてある。

 さっそくメニューを見て、メロンソーダを選ぶ。毒々しい緑色と、のどを刺激する炭酸が妙に気に入って、当時は喫茶店に行くとそればかりを飲んでいた。

 さきほどの老婆が水を運んできた。そして低い声で言った。

「ホットかアイス」

 メロンソーダ、と言って指さすと、ああ、と老婆はつぶやき、また言った。

「ホットかアイス」

 ソーダにホットがあるの? そう思った瞬間よせばいいのに、言ってしまった。

「ホ、ホット」

 老婆はしずしずと戻っていき、すぐに飲み物を運んできた。

 出されたのはホットコーヒーだった。

 新しい客が来て、他の四人掛けに座った。また老婆が言っている。

「ホットかアイス」

 間髪を入れずに客がホット、と言った。

 お代わりください、と男の声がした。また低い声がする。

「ホットかアイス」

 ホット、と声がした。

 どうやらメニューはあるが、この店の選択肢はホット オア アイス。コーヒーしかない、というか他を出す気はないらしい。

 また客が来た。ホットかアイスか老婆が迫る。男は答える、ホット。

 客に有無を言わせぬ迫力、潔さ。男だ……老婆だけど。

 感心しながら私は出されたコーヒーを見る。

 きっとこだわりのコーヒーなのだろう。色がものすごく濃い。

 漆黒の液体を見ていたら、昔読んだ本の一節を思い出した。

 『コーヒーよ、地獄のように熱く、闇のように濃く、愛のように……』

 カップに口をつける。そして考える。

 ──愛のようになんだっけ。

 苦い? 切ない? ほろ苦い?

 違うよ、と一口飲んだ。

 甘い、だ。愛よりあま……あま……甘い! 甘いよ!

 思わず口を離し、片手で耳の下を押さえる。

 非常に甘い。耳の下がキュッと痛くなる。

 そこで初めて、机の上にシュガーポットがないのに気が付いた。当たり前だ。これに砂糖を入れたら、もはやコーヒーではなく、砂糖のコーヒーあえ。コーヒー味がする別物だ。

 そっとあたりを見回す。人々は黙ってそれを飲んでいる。

 一体、いつの時代の味なのか。江戸か明治か大正か。それともこの甘味、昭和のなごり、チクロとかサッカリンというものか? 新橋の闇市時代の物資がこの地下に流れ込んでいるとか。とにかくこれはコーヒーではなく、かうひい、あるいは珈琲と書くしろもの。熱く濃く、愛より甘い、地獄の珈琲だ。

 続けて飲めそうになく、椅子に背をあずけてあたりを見る。

 室内にはテレビもラジオもなく、物音ひとつしない。

 お客の服装はまちまちで、スーツを着ている人もいれば、散歩途中で立ち寄った感じの人もいる。そしてみんな黙々と何かをしている。雑誌や本を読んでいる人、コーヒーをちびちび飲みながら、クロスワードパズルをしている人、イヤホンを耳に入れ、目を閉じて何かを聞いている人。そしてたいていが腕時計をさっと見るなり立ち上がり、会計をすませて去っていく。時間の感覚が身体に刻み込まれている感じだ。

 会計をしている人を眺めながら、二口目のコーヒーを飲む。慣れたせいか、耳の下はもうそれほどキュンといわない。

 店内はひんやりと涼しく、老婆は引き戸の近くにある椅子にちんまりと座っている。白髪と灰色のまじった髪をきれいに後ろでまとめて、唇に薄く紅をさしている。

 三十分ほど過ごした後、私は会社に戻った。

 それからというもの、一人で食事をするときは必ず地獄の珈琲に立ち寄った。いつ行っても変わらず、殺し屋のように老婆は聞く。「ホットかアイス」

 つられて符牒を言うように私も言う。「ホット」と。

 そんなある日、アイスと言ってみたくなった。

 ホットだと甘さにまだ慣れないけれど、甘いアイスコーヒーならかなりおいしい。冷え性なので、冷たいものは飲まないようにしているが、たまにはいいだろう。

 よし、今日はアイスだ。そう勢い込んで地下に降りる。引き戸をあけると、老婆が空いている席を指さした。そして毎度の問いが出る。

「ホットかアイス」

 間髪入れず、アイス、という。

 アイス、とつぶやき、老婆がまた言った。

「アイス……………」

 何だろう、この間は。アイスだと何かまずいのだろうか? アイスクリームなのかな? 氷が切れているとか? 瞬時にいろいろ考えたが、精一杯重々しくうなずいた。

「はい、アイスでお願いします」

 老婆は去っていった。ほどなくして飲み物を持って来た。

 普通のアイスコーヒーだった。

 ストローをさして飲んでみる。今度はひたすら苦い。

 まあいいか、とストローを深く入れた途端、両頬をおさえた。

 キュ、キュ、キューンという感じで頬が縮む心地がする。

 グラスの底に強烈な甘味が潜んでいた。もはや味覚を超えて痛覚の領域。あわててかきまぜたが、無駄な抵抗、イタ甘い。

 なんという飲み物。殺す気か。

 あたりを見回した。視線を感じたのか、ちらっと顔を上げた人が、かすかに笑った。

「あぁ、やっちまったね」という感じである。

 うろたえるもんか、と思った。悔しいから粛々と飲んでやる。

 やせ我慢をして、何食わぬ顔で飲む。三十分を過ごして、会計をすませる。

 階段を上がりながら、心中でつぶやいた。

 負けた……やられたぜ、地獄の珈琲。

 地上に出ると新橋の喧噪がひろがっていた。

 小さな店がひしめきあい、その戸が開くたびに室内の物音や音楽が路上にこぼれてくる。車の音、休憩を終えて会社へと急ぐ人々の靴音。青信号を告げるメロディ。

 振り返ると、物音一つ無かった地下の店が幻のように見えた。



 やがて男性誌のイベントが終わると、その編集部に行く用事は無くなった。私も少しずつ仕事がのみこめてきた。上司や同じ部署の人たちもさりげなく助けてくれ、温かく見守ってくれた。

 それから翌年に快活な新人の女性が入ってきた。その明るさと、彼女の同期入社の友人がたびたび部署に現れることで、小さな部署は一気に活気づき、私もしだいに人と顔を合わせるのが怖くなくなってきた。そのうち別の部署からもう一人、上司が異動してきて、翌年には可憐だが実に頼もしい新人女性が入り、昼ご飯もにぎやかに食べることが多くなっていった。

 ある日、久々に一人で昼食に出かけたとき、思い立ってまたあの路地に入った。

 ところが店の看板がない。不思議に思って地下をのぞくと、店の引き戸の前にいくつか段ボールが積み上げてあった。

 その光景を見て、立ちつくした。でもすぐに歩き出した。社会人になったばかりの頃とは違い、私はもうくつろげる喫茶店をいくつか知っていた。

 そのひとつに入って、コーヒーを頼んだら、紅を薄く引いた老婆のことを思い出した。それはとても艶めいていて、思いおこせば声も立ち居振る舞いもどこか凛としていた。

 ひょっとしたら、芸妓さんだったのかも。

 新橋の一流の芸者さんがあの店で余生を過ごしていたのかもしれない。

 そうだとしたらあの席に静かに座っていたひとたちは、昔のおなじみさんたちだったりして――。

 そう思った時、不意にあの地下が異界に感じられた。

 四人がけの長方形の席に一人ずつ座っていた人々の姿を思う。誰もがくつろぎ、楽しそうに過ごしていたが、見ようによっては、それはきちんと区切られた地に立つ墓標のようでもあった。

 墓場の地下はあんな様子かもしれない。十数年たった今もたまにそう思う。

 精神がバランスを崩しかけたときその異界は現れ、行き場のない心を受け止めて、元の世界に押し戻してくれるのかもしれない。

 そうだとしたらあの甘いコーヒーは、本当に冥界、地獄の珈琲だったのかもしれない。

伊吹有喜 ESSAY

折々のこと...