暑い日が続きますね…

 昨今の夏は一昔にくらべてずいぶん暑いのですが、今年はことのほかそれを強く感じます。いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

 

 私は「小説新潮」で連載中の「灯りの島」の舞台、尾鷲市に七月末から滞在していました。主人公、高倉ハナの家に下宿していた「海軍さん」たち、熊野灘部隊の慰霊の催しに参列して、そのまま三重県に滞在して原稿を書いています。

 

 熊野灘部隊とは太平洋戦争の時代に、東紀州にある尾鷲という町を母港にした旧帝国海軍の部隊です。終戦の約二週間前に激しい戦闘があり、多数の犠牲者が出て、ほぼ壊滅しました。その多くは若い水兵たちで、北海道や東北地方から出征してきた方々でした。

 

 激戦の地となった海岸に立っていると、この戦闘さえなければ、みんな二週間後には終戦を迎え、故郷へ帰れたのだと思いました。

 当時の紀州東線の終着駅、尾鷲から名古屋駅まで蒸気機関車で数時間。名古屋から東京へまた数時間。そこから東北、北海道のそれぞれのふるさとまで、さらに数時間。

 場所によっては一日では帰りつかなかったかもしれません。

 でも、そんな長い距離も時間も、帰れるものなら彼らは苦に思わなかったでしょう。

 なつかしい人たちと、ふるさとの景色が待っているのです。

 

 兵士たちの母親、もしかしたら祖母の世代に入り始めた自分にとって、ふるさとで待つ母や弟妹、若い妻や子どもたちのことを思うと、いろいろな思いがこみあげてきました。

 

 艦艇が座礁した尾鷲湾と須賀利湾には、兵士たちを弔う碑とお墓があります。

 尾鷲の古里海岸には、士官や水兵たちが愛でたというオレンジ色のカンナの花が咲いていました。

 須賀利湾の墓地にある碑のそばでは百日紅の花が満開で、名も知れぬ野花の綿毛があたりをフワフワと舞っていました。まるで雪が降っているようだと、白い綿毛を見上げたとき、東北地方、なかでも取材を通して幾度も眺めた岩手県の雪を思い出しました。思えば不思議なご縁です。

 

 今回の旅もたくさんの方にお目にかかり、お力添えを賜りました。本来ならお礼状をお一人おひとりにしたためるべきながら、今は原稿を最優先にして、あらためてご挨拶できればと思います。

 自分の失礼さ、いたらなさに身がすくむ思いですが、よい作品になりますよう力を注ぎます。

 

 コロナ禍がおさまり、原稿を書きながらの長期取材ができるようになって嬉しいです。

 インターネットの検索機能を使えば、今や日本だけではなく、世界のどの街の様子も見ることができるようになりました。それでも、その場に流れる空気や湿度、匂い、風の吹き方、物の見え方、空の色、土地柄、言葉の抑揚など、行かなければわからないことも多く、実はそれがとても大切なことだったりします。

 いつかどこかの町でお目にかかることができたら嬉しいです。

 

 それでは楽しく、お健やかな夏でありますように!

 お互い、マメに水分補給をいたしましょうね。それではまたお便りいたします。

伊吹有喜