『ミッドナイト・バス』(文藝春秋刊)が出ました!
皆様、こんにちは。このたび四作目にあたる「ミッドナイト・バス」が刊行されました。こちらは「別冊文藝春秋」にて2012年一月号から2013年五月号に掲載されたもので、初めて雑誌へ連載した作品です。
伊吹有喜『ミッドナイト・バス』
伊吹有喜『ミッドナイト・バス』 東京での過酷な仕事を辞め、故郷の新潟で深夜バスの運転手をしている利一。 ある夜、彼が運転するバスに乗ってきたのは、十六年前に別れた妻だった──。 父親と同じく、東京での仕事を辞めて実家 […]
書き手にとって連載をまかせていただけるというのはとても名誉なことで、猛烈に緊張しながら第一回目の原稿を担当の編集者さんにメールでお送りしたことを思い出します。その原稿を読んでくださって、良いお返事をいただいたときは、緊張が大きかった分、喜びもひとしお。仕事部屋で小躍りしそうになりました。今も連載の原稿をお送りする際は緊張して、同じような思いをしているのですが、初回だけに印象が鮮やかです。
さてこの作品は長距離深夜バスの運転士である高宮利一と彼の家族の物語に、深夜バスの乗客の物語が交差する構成になっています。
舞台は新潟市と新潟市近郊にあるという設定の「美越(みえつ)」。登場する乗客はさまざまな事情を持ち、地方から東京へ、あるいは東京から地方へ向かう人々です。舞台は新潟県ですが、この物語に登場する人物は大都市に向かう高速バスがある場所にお住まいの方には身近であるような気がします。
運転免許がない若者や、長距離を運転をするのはつらいという方々、そして旅費を節約したいという方々。高速バスに乗る理由は大切な人に会いに行ったり、親の介護であったり、仕事の出張であったり、旅行であったりと、本当にさまざまですが、どこにいてもそうした場合、大都市へ向かう高速バスは頼りになる存在に違いありません。
また頼りになるとともに、バスという乗り物は人にもっとも近い存在だと私は思います。
災害などで交通手段が断たれたとき、いちはやく人々のもとに向かい、ともにあるのはバスです。そしてこの乗り物は、電車のようにレールがなく、飛行機のように自動操縦装置もなく、ひとたび走り出したら、一人の運転士が目と手足を最大限に使い、細心の注意をはらって大勢の人間を目的地へと運びます。特にこの作品の舞台となる高速路線バスは乗客が少なくても、定刻が来たら必ず出発します。たとえ始発の停留所に乗客がいなくても、その先の停留所でバスを必要としている人たちがいるからです。
高速道路のかたわらにある小さな停留所で待つ人々にとって「東京行き」、あるいは目的の町の名が書かれたバスが彼方から走ってくる姿は、どれほど勇気づけられ、夢を結ぶ存在であるかと思います。
この物語はその高速バス、なかでも深夜便で移動する人々を描いた物語です。
年齢も環境もまるで違う人々が、人生のなかでほんの数時間、ひとつのバスでともに過ごし、それぞれの夜を越えていく。夜通し走っていくのは何のため、誰のため?
そう思ったとき、この作品が生まれました。
今、夜のなかにいる人も、夜を越えた人も、お手にとっていただけたらうれしいです。
「ミッドナイト・バス」。文藝春秋から出ています。もしよかったら乗ってみてください。
伊吹有喜